算命学の泉 最終回

尾崎 光越
自己を見失わない
今回は私のシリーズ最終回として,今まで述べてきたことをまとめながら,人生に悩んでいらっしゃる方に「自己を見失わない」生き方をお勧めして,連載を終わりたいと思います。

私は時々,占い師の仕事とは何だろうと考えることがあります。人様の大切な人生に関わらせていただき,その方の人生の傍(かたわ)らを少しだけ共に歩む事ができるとは,なんと素晴らしい仕事なのかと感謝することもあります。しかし,そういう時にも必ず自分を戒めてもいます。それは占い師として常に心得ておくべきことなのですが,私にアドバイスを求めに来てくださる皆さまがどんなに悩んでいても,たとえ「私の人生を決めて下さい」と言われたとしても,私はその方ではないということなのです。

神道と仏教と日本人《第3回》

Vincent A. @ ELC Research International
神道と仏教の違い
このシリーズの第1回と第2回では,日本に伝来した仏教が日本古来の神道(古神道・神祇信仰)を包摂(ほうせつ)しようとして編み出した神仏習合という壮大なレトリックの歴史についてお話しました。最初に用いられたシナリオは,『神自身が長く神であることに疲れ果て,仏教に帰依して救われたいと願っている』という神身離脱の託宣と,その神の”願い”をかなえるため神社境内に神宮寺(じんぐうじ)と呼ばれる寺を建立するというもので….

つぎに用いられたシナリオは,神は仏の化身(けしん)という化身説(本地垂迹説)(ほんじすいじゃくせつ)でした。本地垂迹説とは,『神の背後には神よりはるかに崇高な仏様がおられるが,仏様はあまりに崇高なため人々には分かりようがない….

しかし,このような巧妙なレトリックを駆使しても,仏教僧侶たちは日本を仏教国にすることができませんでした。その要因には,日本人が神道を捨てられなかったという面と,仏教側が戦略を間違えたという面の少なくともふたつがあるように思われますが,それを考える前に,まず神道と仏教の違いについてお話ししたいと思います。

神道と仏教と日本人《第4回》

Vincent A. @ ELC Research International
仏の実存
前回は神道と仏教の違いについてお話ししました。仏教が論理性を重んじる宗教であるのに対して神道は感覚的・霊的認識を拠り所とする宗教であること,神道の神は実存するが,仏教の仏は観念上の存在であり実存するものではないことをご説明しましたが,原理的には実存しないはずの仏も実際は実存する可能性があるとも申し上げました。仏の実存の問題は日本の仏教や神道を考えるうえでとても良い材料となりますので,今回はこの点についてお話しします。

仏が実存するか否かは,残念ながら今のところはっきり申し上げられません。しかし,神はほぼ間違いなく実存していますので,仏が実存する可能性は非常に高いように思います。また,千年,二千年という気が遠くなるほど長い時間,大勢の人々の篤(あつ)い信仰の対象であり続けた仏が単に観念上の存在,すなわち,人間の観念操作による産物とは思い難く,神と同じように何らかの実体をもつ存在と考えてもよいように思います。

神道と仏教と日本人《第5回》

VincentA. @ ELC Research International
◆仏教の衰退 ──嫌われる僧侶・疎まれる寺
寺院の減少

数字でみると日本は世界有数の仏教国です。日本の仏教信徒数は8400万人とも,4600万人ともいわれており,信徒数は中国についで世界第二位,または中国,タイについで世界第三位です….

ところが,その日本の仏教に明らかに衰退の兆候が出始めています。ひとつは寺院数の減少です。廃棄された寺(廃寺)や住職がいない無住寺が増えており,これは特に地方の中山間地域において顕著です。その要因のひとつが後継者不足です…

そして,寺院数減少のもうひとつの要因が檀家(だんか)の減少です。実は日本の寺にはいくつか種類があります。檀家を多く抱え,その葬儀法事を主たる収入源とする寺を檀家寺(だんかでら)または廻向寺(えこうでら)といいます。

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