Japonism Victoria vol.9 no.1

 

神道と仏教と日本人《第5回》

Vincent A. @ ELC Research International

仏教の衰退 ──嫌われる僧侶・疎まれる寺

寺院の減少

数字でみると日本は世界有数の仏教国です。日本の仏教信徒数は8400万人とも,4600万人ともいわれており,信徒数は中国についで世界第二位,または中国,タイについで世界第三位です。信徒数の推計はなかなか難しいのですが,特に日本人の宗教観は少々風変わりですので推計が一層困難です。例えば,日本では葬儀の大半が仏教形式で行われていますが,結婚式は神道形式の神前結婚が主流で,キリスト教会で挙式するカップルも少なくないなど,日本人は異なる宗教に対して非常に”寛容”ですので,「信徒」の定義が難しいのも一因です。しかし,正確な信徒数はともかく,仏教が神道と並び日本の主要宗教であることは間違いありません。

ところが,その日本の仏教に明らかに衰退の兆候が出始めています。ひとつは寺院数の減少です。廃棄された寺(廃寺)や住職がいない無住寺が増えており,これは特に地方の中山間地域において顕著です。その要因のひとつが後継者不足です。少子化が進み,住職の子,つまり跡継ぎがなく廃寺・無住寺とせざるを得ないという,極めて現実的な問題が各地で起きているのです。

そして,寺院数減少のもうひとつの要因が檀家(だんか)の減少です。実は日本の寺にはいくつか種類があります。檀家を多く抱え,その葬儀法事を主たる収入源とする寺を檀家寺(だんかでら)または廻向寺(えこうでら)といいます。その他に,敬虔な信徒を多く抱え,信徒の修行の指導を主たる活動とする信者寺や,多くの観光客が訪れ,その参拝料を主たる収入源とする観光寺,そして一般の人々から様々な祈祷・祈願を受けつけ,その祈祷料を主たる収入源とする祈祷寺(きとうでら)などがあります。日本の寺院の大半は檀家寺で,そして寺院数の減少が顕著なのもこの檀家寺です。

檀家寺の経営が成り立つためには200~300軒の檀家が必要といわれています。しかし,地方,特に中山間地域では少子高齢化と人口の都市移動が重なって過疎化が激しく,檀家数が激減しているのです。残されたわずかな檀家で住職とその家族を経済的に支えることは負担が大きすぎますので,住職が高齢となり引退するのを契機に,後継の僧侶を招かずに寺を廃寺または無住とするのが典型です。

いうまでもなく,少子高齢化や人口の都市移動は経済発展がもたらす必然的結果ですので,仏教の力だけで寺院減少の流れをくい止めるのはかなり難しいのですが,日本仏教の衰退は寺院数の減少という問題だけでなく,それ以上に深刻な問題を含んでいるのです。それが人々の”寺離れ”です。この寺離れを理解していただくために,まず檀家の概念を決定づけた檀家制度についてご説明したいと思います。

檀家制度

檀家制度とは,江戸時代に徳川幕府が定めた強力な国家政策で,家を単位とし,すべての家がいずれかの仏教寺院を菩提寺(ぼだいじ)として,その菩提寺に属する信徒となることを義務づけたものです。菩提寺となる寺院を檀那寺(だんなでら)といい,その寺に属する家を檀家といいます。 檀那寺と檀家との関係は固定的・絶対的なもので,村人は婚姻・縁組みなどで他家に入る場合や余所に転居する場合などを除き檀那寺を変えることができません。また,檀家は寄附・寄進により檀那寺の経営を支える義務を負うだけでなく,葬儀や年忌供養を檀那寺で実施し,墓参りや寺への参詣を欠かさぬこと,仏教行事に参加することが義務づけられました。

檀家制度を強化するため各地に寺が増設され,結果として日本全国津々浦々に寺が分布するようになりました。このように檀家制度が定着するにつれ,葬儀,年忌法要,墓参りなどの仏教習俗が日本全国に広まり,その習俗は基本的に今日まで続いています。

檀家制度はすべての家・家人がいずれかの寺に属する仏教徒となることを義務づけるものでした。その意味でこれは仏教の国教化政策であり,キリシタンを排除する宗教弾圧政策であったのですが,徳川幕府の真の狙いはそこにはなかったのです。幕府が目指したのは寺院を利用した民衆の全面的管理だったのです。そのために,幕府は檀家制度と表裏一体をなす寺請(てらうけ)制度を定めました。

寺請制度は寺を行政窓口とする身分統制・徴税管理制度です。すなわち,この寺請制度のもと,檀那寺はすべての檀家について,原則として毎年,宗門改人別帳(しゅうもんあらためにんべつちょう)と呼ばれる身分台帳・徴税台帳を作成することになり,その台帳には,菩提寺や宗派名だけでなく,家人全員の出生日,出生地,転出先,婚姻・養子などの身分,さらには財産項目としてその家の家業と,田畑の面積や家畜の頭数などの財産内訳が詳細に記されました。そして,これが最も重要な点ですが,檀那寺は宗門改人別帳に基づいて各家が真に仏教徒檀家であることを証する寺請証文(てらうけしょうもん)を発行する権限と,村人が転居や嫁入りなどで檀那寺を変える際に必要とされた寺送状(てらおくりじょう)と呼ばれる証明書を発行する権限を有していました。

すなわち,村人にとっては寺請証文・寺送状を取得するためには必ず村の寺の檀家となることが必要で,一方,寺の側は,寺請証文・寺送状を発行する権限を有したことで,村の多くの家々を檀家として囲い込むことができ,寺の経済状態が潤うとともに,地域における寺・僧侶の社会的地位が必然的に向上するという利点を得ることになります。

しかし,すべての村人が寺請証文を持つことができた訳ではないのです。まず,寺に寄附・寄進をしない家は檀家から除名され,寺請証文の発行を受けられませんでした。また,キリシタンや,幕府に従わず寺請証文の発行を認められない仏教宗派の寺院に属する信徒も寺請証文を取得できなかったのです。身分証明のない彼らは無宿ないし非人とされ,社会から抹殺されるか,社会の底辺で生きることを余儀なくされました。

このように幕府は寺を利用して民衆の身分統制・思想統制・徴税管理を図りましたが,一方で各寺は,檀家制度・寺請制度に組み込まれることで地域の人々を檀家として囲い込み,人々の生活の隅々にまで影響を及ぼすようになったのです。

鎌倉時代から民衆の間に広がり始めた仏教は,こうして江戸時代にその勢力を民衆の間に深く浸透させることができ,黄金時代を迎えることができたのです。歴史的にみると,日本の仏教は時の権力に利用される形をとることで,結果として権力を利用して勢力を拡大してきました。檀家制度・寺請制度もその一例ということになります。

罠にはまった僧侶たち

しかしながら,ここに大きな落とし穴があったのです。仏教は檀家制度・寺請制度によって村人たちを寺に縛りつけることで民衆の間に勢力を浸透させましたが,幕府の権威(法制度)という強制力によって人々を寺に帰属させることが出来ましたので,僧侶たちは人々の信仰心を育てる必要がなくなったのです。

これはとても大事な点です。なぜなら,仏教はキリスト教と異なり,基本的に”信ずる者は救われる”という立場を取らないからです。すなわち,キリスト教では,神の意思を人間の言葉に言語化したキリストの言葉を信ずる者は救われますが,信じない者は地獄に堕ちます。しかし,仏教はそうでないのです。浄土真宗が分かりやすいのですが,浄土真宗の教えでは,真理(阿弥陀如来の慈悲)を信じようが信じまいが,人は死後必ず救われるからです──もちろん,悪行を重ねた人は地獄に堕ちますが,それは悪行のゆえにであって,しかも地獄に堕ちても罪を悔い改めれば,いずれ救われます。すなわち,仏を信じているか否かが大事なのではなく,仏に感謝する気持ちを持つことが大切なのです。

キリスト教では,布教活動によりキリストの教えに気づく人をひとりでも多く増やすことが絶対的な善となるのですが,仏教における絶対的な善とは,修行を深めて自分自身が少しでも解脱に近づくことであり,他人に真理を広めることはさほど重要でないのです。ですから,檀家制により村人を囲い込むこと成功したからには,僧侶たちには基本的に村人の信仰心を育てる必要がなくなったのです。

そして,村人たちの信仰心育成に関心がなくなった僧侶たちは,寺院の権威化と経営安定化に精を出すようになります。僧侶たちは競って仏舎を拡大し,仏像を造像し,そしてその費用は村人に負担させました。また,村人に対しては死者の墓を建立することを半ば義務づけ,葬儀法事を必ず寺で行うよう指導しました。それまで葬儀は村(コミュニティ)が主導していたのですが,寺がその役を担うことで収入の安定化を図りました。さらに寺で祭事や縁日などを催して人々を集めるなど,収入拡大に励みました。

檀家制度からの解放

しかし,徳川幕府が倒壊して明治時代になると,後ろ盾の檀家制度・寺請制度が廃止されました。それまでの檀那寺と檀家の関係は,表面上は強固のようにみえて,それは人々の強い信仰心に裏づけられたものではなく,幕府の権威という強制力があったがゆえのものにすぎません。寺請証文を発行しない寺には特段の権威がありませんので,寺と村人との関係は菩提寺と檀家という純粋に宗教的な結びつきに弱まりました。

しかしながら,時代や制度が変わったとはいえ,村の生活が一変する訳ではありません。僧侶と村人たちは同じ地域で日々顔を合わせながら暮らし続けており,さらに寺は村人たちの菩提寺ですので,菩提寺での葬儀も墓参りも続きます。そのような情況のもとでは,それまで寺の経営を檀家制度に全面的に依存してきた僧侶たちの意識はなかなか変わりません。法制度としての檀家制度は廃止されても,その幻影が簡単に消えることはありませんでした。檀家制度は260年も続いたのですから,無理もありません──ちなみに,明治になって檀家制度が廃止されてからまだ150年しか経っていないのです。

すなわち,法律上の檀家制度が廃止された後も,僧侶たちのなかには檀家が寺を支えるのは当然という強い意識が残り,それが (1) 檀家が墓を別の寺に移してその寺の檀家となることを極端に嫌う檀家に対する僧侶の支配欲や,(2) 寄附・寄進は檀家の当然の義務と考え,布施を施されても特に感謝しない僧侶の未熟さにつながったのです。

そして,それこそが人々の”寺離れ”を引き起こす根源となったのです。おそらく,この”寺離れ”は20年も30年も前から始まっていたはずですが,それが顕在化したのが,少し前にアマゾンが僧侶派遣サービス”お坊さん便”を開始したときです。

神道と仏教と日本人《第5回》
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